母を迎えに
実家の鍵を開けて家に入ると留守で、母はまだ美容院のようである。
私も高校生のころ通っていた店なので行ってみることにする。なぜかすごく貴重なチャンスに思えて急ぎ足になる。みんなが驚く。
母が髪を切ってもらっているところを見たのは初めてかもしれない。
てるてる坊主みたいで愛らしい。自分が美容院の鏡に映る姿はなんだか滑稽で他人に見られたくないのだが、他人からみるとこんな感じなのか。
髪を切っている’センセイ’は人生の道理は全部わかってますみたいなタイプである。母が同じことを何度も繰り返しても、合わせて繰り返したり、発展させてみたり、私なんかより何枚もうわ手だ。
そんな母は、最近は新しい物事にはあまり興味を示さないのだが、「アンチョビってなんかいね?」とたびたび訊くので、バーニャカウダソースを作った。
缶入りのアンチョビを一緒に買って、にんにくを煮たりする過程も一緒にやったのに、出来上がりをみて「これなんが入っとうと?」と訊く(確かにソースというものは見た目では材料を想像しにくいものではある)。
新鮮なきゅうりですくって味見、「うわ美味しい!これなん入れたと?」
もういちど説明すると、
「で、アンチョビってなんやったっけ?」とドリフを地でいく感じである。
夕方、叔母(母の妹)と叔父を呼んでバーニャカウダパーティする。
叔母はバーニャカウダを知らなかったにも関わらず、勘を利かせて土付きの新鮮な人参やらブロッコリーやらピーマンを持ってきてくれる。
もうだいぶ呑み進んだころになって、叔父は突然かばんから蒲鉾をだして自ら切り分け、みんなに供する。
ひとくち食べてみて、別に普通の蒲鉾だと思ったし、さてどう言ったものかと思っていたら、
母が「キリキリして,美味しい!」と言い放ち、
何という的確な表現か!と一同を感心させたのだった。
その叔母は、昔から私にどんな教科書や辞書よりたくさんの英知を与えてくれた人物で、
このごろも
「ひとはみな馴れぬ齢(よわい)を生きている」という永田紅さんの言葉を教えてくれた。
母はいま記憶を手放し始めており、それは母自身にも周りの者にも初めての経験である。
もちろん戸惑いもあるが、馴れぬのは当たり前。
願わくば、母がどんどん身軽になることを恐れずに笑顔をたくさん見せてくれるよう、ドリフを見習っていく。
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