春雷に
早々に布団に入っていたので、毛布に包まってたびたび障子が青白く光るのを見ているうち、実家で伝説のように何度も語られる「芳がオラン事件」を思い出す。
私が幼稚園の年長か小学校低学年ごろ、のどかな時代だったのか、そんな歳でも近所を独りで遊び歩いていたものだったが、ある激しい雨と雷の夕方、「芳がおらん」と大騒ぎになった。仕事から帰った両親や、おばあちゃん、お兄ちゃんは心配してあちこち電話したり、父などは近くの側溝やらを探したらしいのだが、ふとお兄ちゃんが自分の寝床(2段ベッドの上段、私のは下段)で布団かぶってぐうぐう寝ている私を発見したのだった。「雷が怖かったけん隠れとった」そうで、幸いなことに今となっては笑い話である。
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この歳になっても、春雷で思わず怯んでしまうのだから、大きな災害を経験した人たち、あの頃の私と同じくらいの歳の子も当然いる、はどんなにか怖かっただろう。災害後に訪れる日々がさらに辛かったり、それが今も続いている方もおられるだろう。
しかしいくら想像したところで、それは体験した人にしか分からないのだという思いに苛まれ、気持ちが重くなって自分がどう過ごしたらいいのかわからない、それが10年前のちょうど今頃だった。友人に話したら、全く同じ気持ちだと言われてやっと我に返り、それからは少しずつ自分が出来ることを考えた。
1週間ほど前、20年以上ぶりにある友人に再会した。変わらず快活でチャーミングな彼女から、懐かしく楽しい思い出話のほかに、この年月に起きた辛い出来事や、大病から奇跡的に一命を取り留めたことが語られ、私は言葉もなくただその重みを感じた。話したことで彼女の抱える重みが少しくらい軽くなったのかどうか、砂糖や塩じゃないんだから計り知れないし、そんな単純なものじゃない気がする。
それでも、心は震える。何日も。
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一人暮らしだったお隣のOさんが高齢(92歳)になって、娘さんの住む関東にある施設に移住された。娘さんは常に母上のOさんを心配して、私のことも頼りにしておられたが、ようやく近くに住めて一安心だろうと思う。今は空き家となっている家の手入れに来られると、必ず挨拶に見える。今日、私たち家族の写真を撮ってOさんに渡すことを思いつき、娘さんも刺激になるからいいと賛成してくれて、短い手紙を添えて託けた。
「母はなんでもすぐに忘れちゃうんですよ」と言われていたが、Oさんの心には今どんな景色が映っているんだろうか。私たちの写真を見て、一緒に散歩したり、子供たちの秘密基地に招待されてくれたり、そんな日々がよぎって心が揺れたりするんだろうか。
雨も雷も去って、穏やかな天気の日曜日。とりとめもなく想い、巡ってくる春。
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