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なんばしよったとやバースデイ

_png 中学生ごろ、思春期だった私は父を無視し続けていたが、面と向かって逆らうなんてことはとても考えられなかった。

共働きの両親は対等に見えつつも、「お父さんはすごく偉いのだ」と感じさせる空気が家のあちこちにあって、父が発する言葉はいちいち重みをもって聞こえたし、ほかにも「お父さんが帰ってきた!」と言ったら、母に「帰ってきんしゃった(博多弁の敬語)」と正されたことなどを覚えている。
また、父は私が小さいころから、女性も仕事を持って自立するのが当たり前と言って、本当にピアノが好きなら高校からでも音楽学校に行けばいいとも言っていた。厳しい父では全然なかったが、簡単に口ごたえなどできる相手ではなかった。

そんな父との忘れられない晩御飯といえばこの夜。

私は高校2年になるところで、父とも普通に話が出来るようになっていた春のある日、それは父の誕生日。
母は、お祝いの晩御飯を一通りの準備をして叔母と出かけていた。
そのころ蘭に凝っていて、どこかに買いに行って遅くなったと記憶している。
支度を整える私はそわそわからひやひやとなり、父はぐらぐらと苛立っていた。

そこへ、花も負けんばかりの笑顔で母が帰宅。

「なんばしよったとや」。

「(ハッ)・・ごめんなさい」。

父、母、祖母、兄と私がお膳について、母がご飯をよそって手渡しても父はむっつりと無言であった。

そのとき、ありえないことだが、なにかがとり憑いたみたいになって私の口から言葉が飛び出た。

「お父さん、いつまでそんな顔しとうと?」
「いいと、お母さんが悪いと」という母の言葉を遮って、

「お母さん謝っとったろ?だいたい今日はお父さんの誕生日なだけじゃないとよ。お兄ちゃんが大学に受かったお祝いで、これからお兄ちゃんが東京行ったらもう一緒にご飯食べられんちゃろ?お父さんがそげん顔しとったら、せっかくのご飯が美味しくなかろうもん!」

そこらまで言い放ったあとは言葉になってなかったと思う。

父はたいそう怖い顔でだまって聞いていたが、

やがてぼそっと、
「ごめん、お父さんが悪かった」。

顔を上げるとお兄ちゃんもおばあちゃんも泣いていた。
そのあとの父は、祝い酒も入ってすっかり気分がよくなり、「今日は初めて芳に怒られたやねー」と嬉しそうに何度も言って、みんなで笑った。


戦争を含む激動の時代に育った父は、例えば「男子厨房に入らず」と教えられたのに、日常的に台所に立つようになった人。
そんなふうに自分を変えられる能力を、私は知性というのだと思う。

この高校時代くらいから、私は父を心から尊敬できるようになった気がする。

 

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