週あけて、雨。
さる土曜日、カゾクゾウアルバムの音楽サイド、ミックス作業がほぼ終わりました。
日曜には12/29北浪良佳ライブのリハーサルをしました。
カゾクゾウ作品のテーマは「family」。私を育ててくれた家族や、今現在生活をともにする家族、そしてこれから巡り巡るであろう家族たちへの思いを込めています。
さて、メンバーとは、音世界における家族のようなもの。ご縁があってお側にあり、なくてはならない存在、でも意外とアホで、そのくせ愛しい。しかし、演奏や作業が終われば散りぢりに別れるわけで、プライベートなことなどあまり知らないことも多いです。
離れるとちょっと寂しい。でも、音はこうして残る。そんなことを思いつつ、月曜を迎えると今日はいちにち雨でした。
この建築家のような音楽家になりたい。
私はけっこうよくメモをします。だいぶ前にメモったものをみるのも好きです。
建築家;中村好文さんの文章をメモったものが出てきました。
「建築家は構造、設備、材料、性能などのプロフェッショナルであり、さらに芸術の理解者かつ表現者でなければなりません。しかし、それと同時に、あるいはそれよりもまず、
卓越した人間観察家でありたいものです。
人間の生活という、雑駁で、矛盾に満ち、曖昧で、所帯じみ、滑稽で、皮肉で、自分勝手で、愉快で、退屈で、混沌とした代物を、まるごと穏やかに受け入れる器量と、それよりも暖かく見つめる眼がなによりも要求される・・・・(引用元不明、しかし確かに中村さんのもの)」
なにかと気ぜわしい師走に入りました。
自分にとっての大まかなディレクションを、確認したくなる季節です。
ふたりの母、その共通点について。
私にはふたりの母がいる。
ひとりの母は、宅急便に必ず短い手紙を入れてくれたり、果物に葉っぱのついたやつをひとつ入れてくれたり、繊細で笑顔がまぶしいひと。
もうひとりは、抜群にお洒落で、未知のものへの好奇心を絶やさない凛々しいひと。
そんなふたりの母に見事に共通する癖、それはずばり、「洗濯物を、帰る間際まで乾かして持たせようとする こと」。
今回の東京ライブから帰って独り静かな風呂場にいくと、母に預けていた息子のリュックからビニール袋に入った洋服ひとセット。「生乾きです」とのメモが入っていた。
充実しつつも疲れて帰って来た私は、洗濯物をつめてくれる母の姿を思い、「おかあさーん」と泣きたくなるのです。
そのわりにちっとも親孝行できないのはなぜなのでしょう!
そんなわけで、だいぶ前から母に頼まれていたお歳暮お礼用絵はがきを、やっと描く。タケチとともに描く。
子どもは絵の天才、とてもかないません。